雪ん子パースペクティヴ

読むとちょっとタメになるエントリー。

【怖い話】チキンナゲット

東京に住んでいた頃、仕事帰りに居酒屋でお酒を飲むのがマイブームの時があった。

足繁く通うような居酒屋ができると、そこの常連の男と親しくなり、ついには休日に彼のアパートへ誘われるほどになった。

 

土曜日の午後を回ったばかりだった。彼からLINEが入った。

「昼にナゲット作ったんだけど、作りすぎちゃってさ」

昼食もそこそこにして、私は何か飲み物でも持っていこうと、コンビニでビールを二缶買い、彼のアパートへ向かった。

 

彼の部屋は304号室で、角部屋だった。

「よく来たね」

笑顔で出迎えた彼の向こうから、香ばしい香りがした。私は少しお腹が減った。

彼にビールを渡し、私はキッチンに置かれた大皿のチキンナゲットを見やった。

「料理、好きなの?」

「揚げものとかね。気分のリフレッシュになる」

料理が趣味の男ってかっこいいな、なんて思いつつ、私は彼に促されるまま、チキンナゲットを一つ食べた。とてもおいしかった。

 

その時、ドアのベルが鳴った。「誰か来たんじゃない」と彼に訊くと、彼はドアの覗き穴を見て「気にしなくていいよ」と言った。

「開けておくれよ・・・」と声がした。

ザラザラとしたその声に私はギョッとし、彼に「え、何?」と尋ねた。

だが、彼はまるで問題ないと言わんばかりに、まだ揚げていないチキンを油に投入しようとする。

「開けておくれよ・・・」と小さな声が何度もしたかと思うと、それは次第に大きな声に変っていき、「開けろ!」と怒鳴り声とともにドアが叩かれた。

私は驚き、彼に「開けた方がいいんじゃない?」と言ったが、彼は知らんぷりしていた。

「近所に頭のおかしい人がいるんだよ」

彼の冷静さをしり目に、私は覗き穴から老婆を見てみた。

ぼろきれを何枚も身にまとった老婆がいた。腕も細く、肌は浅黒い。目もどこをいているのか分からないほど斜視で、「開けろ!」と叫ぶその口に歯はまばらだった。

思わず「うわっ」と声をあげた私に、彼はすぐさま「声を出すな!」と押し殺したような声で言った。

「いるのか・・・? いるんだろ!」

老婆は大声をまくしたてながら、ドアノブを回し、何度も何度も引いて開けようとした。そのうちに緩くなっていた鍵が勢いで外れそうになった時、私は咄嗟に鍵を横にして力を込めた。

ドア一枚隔てた向こう側に頭のおかしい老婆がいて、こちらに入ってこようとする。それを考えただけでも腕が震えた。

やがて、ドアのガタガタという音は止み、彼が私の肩を優しく叩いた。

「もう大丈夫だよ」

彼は微笑み、私が買ってきた缶ビールを飲むようすすめる。

「あのおばあさん、よく来るの? 警察呼んだ方がよくない? 夜とか危ないよ」

油に浮かんているチキンナゲットがこんがりと揚がっていた。換気扇の回る音がやけに静かで、彼は困ったような顔をしてビールを一口飲む。

 

「いるじゃないか!!!」

ベランダの方から先ほどの老婆が恐ろしい形相でこちらを睨んでいた。

その姿に驚いた私は壁に寄りかかり、彼は冷静さを保っていた。

老婆は窓ガラスをガタガタと揺らしていた。すると、窓に鍵をかけていなかったため、開いた窓から右足を滑り込ませ、ゆっくりと全身を部屋に入れた。

入ってきた入ってきた、と私は心の中で同じ言葉を叫ぶことしかできなかった。老婆からは線香の匂いがし、あまり近づきたくない感じがした。

「まあ、座ってくださいよ」

彼が静かな声でそう言った。部屋にあるテーブルにはすでに揚げたチキンナゲットがたくさん置いてある。

「飲み物もありますから、遠慮せず食べてください」

老婆は斜視の目をぎょろぎょろとさせながら、彼の言う通りにテーブルの前に腰を下ろした。

私は今すぐにでも帰りたかった。だが、彼が同じようにテーブルに着くよう言う。

不思議なことに、私と彼、そして老婆が対面する形で、チキンナゲットを食べていた。

あまりにも怖くてチキンナゲットの味など少しも感じなかったが、老婆はよほどお腹が空いていたのかバクバクと口に運んでいた。

 

ふと、「これは何の肉だ」と老婆が訊いた。

鳥だろ、と私は思った。その隣で彼がにやりと笑っている。その口元に気味悪さを覚えた。

「あなたの息子です」

その途端、老婆は目をぐっと見開き、「お前・・・」と苦しそうな声を出しながら、口から食べかけのチキンナゲットをこぼした。

「お前!!!」と耳が痛くなる大声を出したかと思うと、老婆は霧になって目の前からいなくなった。

 

窓の方はまだ明るくて、午後2時にもなっていなかったように思う。

私は足がすくんでいた。

「あのおばあさん、この部屋に住んでいた人の母親らしいんだ」

彼はぼうっとした目をチキンナゲットに向けていた。

「ずっとうるさくてさ、同じように殺したんだけど、幽霊か何かになって毎週土曜のこの時間にいつも来てたんだ」

殺した?

「でも、自分の息子の肉を食べたら幽霊って成仏するんだね」

彼は口を大きくして笑った。

私は震える手を使い、少しでも彼から距離を取ろうとした。だが、彼は私の足首を掴み、離そうとしない。

彼に体を押し倒されると、クローゼットが開いているのに気づいた。鼻が異臭を感じ取った。生気を失った目が私を見ている。殺した?

刃物をこすり合わせる音がした。

「次は君の」

 

彼のその言葉を聞くや否や、私は彼を全力で突き飛ばし、その場から逃げることに成功した。だが、こうしてブログを書いている今、私のアパートのドアをドンドンと叩く音がしている。

彼は私が住んでいるアパートを知っているのだ。

カーテンはあの日以来、一度も開けていない。

私に逃げ場はない。

 

 

 

おしまい。